オハコのこんな事ばっか考えてる。

オハコと申します。オタク関連を中心に広く浅く何かと考えた事を書いていこうと思います。

映画「サウルの息子」、リアリティを演出する手法についていけず…

ガルパンを観に行った同じ日に、この映画も見ていたので感想などを。

 
 
舞台はナチスドイツ時代のアウシュビッツ収容所。
ユダヤ人ながら、収容所で殺された同じユダヤ人の死体処理に従事する「ゾンダーコマンド(特殊部隊)」という人々を扱った内容です。
 
podcastで聴いている、ライムスター宇多丸の映画批評コーナーでも紹介されていて、なにやら衝撃の話題作!らしいので思い切って観に行きました…が!
 
ちょっと個人的にはウーン…という感じでしたね〜。
一言でいうなら、この映画のチャレンジに自分はついてけなかった!
って感じかなーと。
 
 
 

独特すぎる映像手法

この映画は、とにかく撮り方がとても独特。
 

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画面のアスペクト比(縦横の比率)が正方形にもちかい四角形となっています。上の画像でいえば、普通の映画だと両端の黒い部分がなく、
映画といえば横長ワイドが当たり前で、いつもよく見ているのと比べてかなり異質。
これで極端に「背景」というものが認識しにくくなってます。
 
 
それに大きな特徴がもう一つ。
全編ほぼ常に、カメラ位置が主人公の後ろ姿を映すような、寄りまくりの映像が続くのです。
ともすれば主人公の体がカメラの邪魔をするように突っ立って「ちょっ、主人公や周りのやつら今どんな行動してたんだ?」とわからなくなることもしばしば。
 
 
曰くこれらは、追い詰められている人間の視野の狭さを表現した意図的な演出。
確かにこの横に広がりのない画面サイズで、いつも主人公の後ろ姿が覆うようにように写っている…
というのが続く画面からは、それだけで観ていて「閉塞感」とか「息苦しさ」がヒシヒシ感じるのですが…
 
この演出、とにかく自分にはあまりに実験的にすぎる
たしかに今まで味わったことのない感覚ではあるのですが、その実験が自分には成功しておらず、うまく伝わってこなかったな…という感じ。
 
 

フィクションのパワーに頼っても…

前述のとおり映像から状況が掴みにくく、さらにこの映画はわかりやすいナレーションや説明役のような人物も出てこない。
なので場面によっては、主人公がいまどんな行動を取っているのか自体わからないまま観ていた瞬間もあったり…
こうなるともう、ついていけねぇよぅ!と不満になったりしましたね〜。
 
 
パンフレットなどによると、文字どおり「『劇的』ではない」ことを目指した手法で、ホロコーストの恐ろしさをどこまでもリアルに描いた作品、とのこと。
 
ただその手法についていけなかった私的には、そういわずに映画的な技術を活かした「フィクションが持つパワー」に、もう少し頼ってもいいんじゃない?
なんてブーたれてみたりもしたくなったり。TARITARI。
そんな映画でした。
 
 

 ムービーウォッチメンでも言及されていた、原作?に通じる本。
映画はうまくノレなかったけど、本ならどうかな?とおもう今日この頃