タンタンが気付かせてくれたベルギーテロ事件への悲しみと、「キャラクター」が持つパワー
きのう夕方のニュースを見ていたら、22日に起きたベルギーの同時多発テロに関するニュースについての報道が。
その中で『ベルギーのコミック「タンタンの冒険」のタンタンでテロ事件の悲しみを表現したイラスト』が紹介されていました。
そうだ、ベルギーはタンタンを生んだ国だった…
このブログでは、テロ発生のたった一日前、「タンタン アメリカへ」を読んで記事にしたばかり。
だのに自分は情けないもので、この「ベルギーでテロ」というニュースが報道されたときにタンタンのことを思い出す訳でもなく、まして『なんか遠い国の話だなぁ』とか、そんな風に思う節もあったり…
そんな時、上の「タンタンが悲しみにくれる」ニュースのイラストを見たとき、改めてこの事件の深刻さ、悲しみの大きさを実感しました。
それを実感させたのは、ニューステロップよりもタンタンの涙
タンタンの冒険自体はそれほど「ベルギーが舞台である!」ってことが強調されたマンガって訳でもないと思います。(ことあるごとに外国へ冒険へ行きますし)
なのでタンタンを読んでても、出身国のベルギーにも思い入れがあったかと言うと、そうでもなかったんですよね…
だけどあのイラストを見たとき『「タンタンの母国」があんな悲劇にみまわれたのだ』という想いが強烈に脳内を走り、事件の恐ろしさ、ベルギーの悲しみを実感しました。
それこそ、ニュース番組で「ベルギーでテロ。20数人が死亡」というテロップを眺めていたときより大きい衝撃だったかもしれません。
いやいやアンタ、マンガがあって初めてコトの深刻さを理解したのかよ?…とツッコまれる話でもありますが…やはりそれは『キャラクター』が大好きなオタクである自分の性分でしょうか。
例えば、日本に住むベルギーの人が知り合いにいるとすれば、本人は日本にいるから無事とわかっていても、その人を通じてこの事件に対する関心は変わってくると思います。
自分にとってはタンタンがそのベルギー人の知り合い…親愛なるベルギーの隣人*1、といった存在といえるのかも知れませんね。
とにかく、タンタンというキャラがいなければ、このベルギーテロ事件に対する関心は今よりずっと低かったのは確かだなーと。
「キャラクター」のパワーを体感
そう考えていると「キャラクター」という存在が持つパワーって、スゴいなぁと思います。
タンタンを通じてベルギーを愛する人々が、タンタンというキャラクターでもって今回の事件への思いを表現し作品にする。
それを見て、自分を含めて世界中の人がこの事件への関心を高める…という動き。
「マンガが国境を越えて、違う国同士の架け橋になる」みたいなフレーズはよく聞きますが、ふだんなら『そんな大層な…』と冷めた反応をしちゃうフレーズでもありました。
しかし、今回のニュース。このタンタンイラストが発信されていく動きを見ると、決してこれはウソじゃなかったんだなぁ。