月光仮面の「憎むな!殺すな!赦(ゆる)しましょう!」は、いま最も必要な言葉だと思う
令和も始まって早々、こういう衝撃的なニュースが二つも立て続けに発生するとは…。
二つの事件についてのウェブ記事や、はてブコメントなどを読んでは色々考えてしまう今日この頃。
そうやって悶々としているとふと、「月光仮面」のあのフレーズが頭に浮かんできたんです。
『憎むな!殺すな!赦しましょう!』
2つの事件に関する報道をウェブやテレビで目にするたびに、このフレーズを思い出しては、なんだか頭から離れない。
そんな中、こちらの記事を読みまして…
特にこの結びの言葉。
あなたの死に他人を巻き込むのではなく、あなたの生に他人を巻き込んでください。
ここを読んでなんとなく、先ほどの「憎むな!殺すな!赦しましょう!」というフレーズにうまく当てはまって、なんだか腑に落ちたような気がしました。
つまりこのフレーズは、児童殺傷事件の犯人、そして息子を殺害した元事務次官*1…
そして事件の報道を耳にして、つい「一人で死ねよ」と言ってしまう―—初報を聞いた瞬間には同じことを口走った自分も含めて——今のこの社会・世間全体に対しても、必要な言葉って事なんじゃないかと。
川崎の事件の犯人には、「自分を認めない社会が憎いからって、八つ当たりのように子供を殺すな!」
元事務次官の事件の犯人には、「家庭内暴力など様々な事情はあったにせよ、自分の手で家族を殺すな!」
そして今のこの社会にも、「社会にうまく馴染めない者を憎むな!自分たちと違う誰かの身体や心を殺すな!互いを認め赦しましょう、そして助け合いましょう!」
そんなふうに言いたい、だからこそ浮かんできた「憎むな!殺すな!赦しましょう!」なのかな、なんて。
とにかく、衝撃的な事件が立て続けに起こって、そのやりきれなさに悶々として…そのため、いつになくこんな真面目な記事も書いてみたりしました。
一方で、もちろん日本は法治国家。悪行を犯した者には、法が定めた適切な手続きで裁いてもらうことが肝心でもあります。
憎む(罪人と決める)か、殺す(刑罰を与える)か…は司法に委ねて!
我々はまず『憎むな!殺すな!赦しましょう!』の心持ちでいきませんか。